チカミ休憩所

chicamiが一日の終わりに立ち寄る休憩所です。第1目標は『がんばらない』。

思考整理のための随筆

 ミツキチカノは言い訳ばかりしている。

 日頃、行動するより先に考える性分であるのは自覚している。これは小学生の時分から変わっていないと記憶しているが、これといって例示できるようなエピソードは思いつかない。
 だから、ともすれば私の知らないところで私のことを『活発で行動派だった』と表現する人がいるのかもしれない。それはそれでいいだろう。
 今の私にはあまり関係のないことだ。

 一体いつからこんなに複雑な性格になったのだろうか。
 赤ん坊の頃は物事を『快』か『不快』かだけで判断していたというのに。今のミツキチカノは自身でも感情を言語化するのが難しい。とてもじゃないがひと言では、いや400字詰め原稿用紙3枚でも足りない気がする。

 それでも強いて今の心模様を表現するならば、

 ―――『晴れの日の遠くにある雨雲』。

 基本的に今の気分は悪くない。私の描いた絵は様々な人の目に触れ、受け入れられ、そして評価されている。
 それは至極幸せなことで、数年前の私が思い描いた理想の自分に着々と近づいている気がしているのも確かだ。おかげで日々充実している。
 
 しかしどうしてか。
 えも言われぬ不穏が心の隅にある。
 充実感とは反対の、輪郭のないモヤモヤしたモノが遠くの方に佇んでいる感じがする。

 どうしてか、とは言ったが、原因は正直わかっているのだ。

 それは絵に関することも部分的にある。
 もっと私の絵が人に評価されたいという承認欲求も要因のひとつ。
 だがこれは定期的に絵に反応が来ることと、先日の意識改革でプラスなものに変換された。つまり直接的なモヤモヤの原因ではなくなっている。

 直接的な原因は、結局、私の言い訳癖にある。

 何か行動しようとした時、こなさなければならないことがある時、必ず考えてしまう。
 効率化された最適解を導くための思考ならばまだよかっただろう。
 しかし私はそこで言い訳を考えてしまうのである。

 先日洗濯機が壊れた。
 家族と話して新しいものを買うことにした。
 母の勧める洗濯機を見て、注文する商品をそれに決めて、あとは注文サイトに行くだけ。
 それなのにまだできていない。
 下取りがどうとか、設置の日取りがどうとか、そんなこと を脳内で言い訳にして、かれこれ2週間はそのまま放置してしまっている。
 おかげでコインランドリーに200円を投下する日々が続いており、そのせいでまた注文のタイミングを逸してしまっている。
 そろそろいい加減注文しなければならない。

 髪が伸び放題になっている。
 しかし新天地で行きつけのお店がないことを言い訳にまだ行けないでいる。
 それでも近所にめぼしい美容室はあるが、お金がかかるのではとか、鏡恐怖症だからとか、いつでも行けるけど今じゃないとか、そんなことばかり言っている。

 買い物でもそうだ。
 お腹は空くが、自転車がパンクしているし、スーパーは遠いし、そもそも使えるお金が少ないし、と言い訳。

 お金がないならバイトをすればいいと思っているが、それぞれの業種の悪い評判を思い返したりとか、絵を描く時間がなくなりそうとか、髪を含め身なりをキチンとしてからにしようとか、と言い訳。

 結局全ての言い訳に言い訳をして、巡り巡って何もしないでいることが多いのだ。
 このままではさすがに人間を辞めていると思われても仕方がない。

 洗濯機を注文しよう。自転車を直そう。髪を切ろう。バイトをしよう。美味しいものを食べよう。そして絵を描こう。

 きっかけはいつだってそこら辺に転がっている。
 思い立ったが吉日。
 考える前に動いてみろ。

 そんな言葉を締めにこの物語を閉じようと思います。

 今日はそんなとある絵描きのお話でした。
 ではでは。