チカミ休憩所

chicamiが一日の終わりに立ち寄る休憩所です。第1目標は『がんばらない』。

テイメイ→レイメイ

ども、chicamiです。

 

これから話す内容は全て過去形です。

それが空元気の自己暗示だとしても、"そういうこと"にしておいてください。

 

ちょっと重たいお話になります。

話す私も言葉を選ぶし、聞く(読む)あなたも心苦しいような。

話し辛いし、聞き辛い。

小雨の中、傘の隙間から雨雲の形を掴むような。

漠然としていて抽象的で、

煮え切らなくて中途半端で、

なんの根拠も理由もない。

そういうお話。

 

 

3月始め。

私は1年生最後の授業を終えて、春休みに入り、その足ですぐ実家に帰りました。

春休みは丸1ヶ月もあり、どれだけ多くの絵を描いてやろう、この休み中にどれだけ成長できるだろうとワクワクしていました。

 

最初の2週間、それは実際に絵の枚数となって現れ、短期間で普段以上の作品を完成させました。もちろんTwitterにもあげました。

春から東京に上京するという学校の先輩たちと最後のご飯にも行ったし、4月から県外に出る地元の同級生と久しぶりに会ってご飯を食べたりした。

姉の入籍に合わせて相手家族と会食したり、引っ越し準備を手伝って春から始まる新生活の風を感じてきた。中学からの親友が結婚するとおめでたい連絡も来た。

 

何事も順風満帆で、自分の周りの環境がが上手く進んでいると思った矢先、急に絵が描けなくなりました。3月半ばのことです。

たぶんこの日からだ。

理由は私にもわかりません。

いつもなら時間と共に消えてなくなる小さな"モヤ"が、この時ばかりは妙にずっと残っていて、何もきっかけがないのに、何の前触れもなく、突然背後から心というか魂を抜き取られた感じ。

春休みも中だるみの時期で生活習慣がバグっていたこともあります。朝7時に寝て夕方6時に起きる生活。平日仕事に行っている両親が起きてくるのと共に寝て、帰宅する音で目を覚ます。これの精神的ストレスが尋常じゃなかったかもしれない。

投稿した絵の評価が想定より少なかったことも要因のひとつとしてあるかもしれない。

精神的に参っていたから体調を崩したのか、はたまたその逆なのか、同じ時に目も鼻も喉もやられて、鼻水地獄と咳地獄で寝苦しい日々を過ごしてもいたし。(熱はなかったので原因はたぶん花粉)

 

身体が危険を察知してリフレッシュのために銭湯に行ったり一日何もしない日を設けたりしましたが、身体が回復しても肝心の心は回復できず、それを言い訳にまた何も成せない日々を繰り返し。

そんなこんなで魂ここに在らずな状態で3月も終わり、学校が始まる直前にアパートに戻ってきましたが、なかなか本調子とはいかなくて。

おまけにアパートは絶賛工事中で、部屋の外は真っ青世界。

昼間は窓外の鉄筋足場を人が行き来し、トンテンカンテンドルルルルと工事音もします。お断りの書類も届いていたし自分の家を良くしているのだからクレームを言うほどでも無し。

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工事中

YouTubeを開いては目が疲れてふて寝して、起きたら外はもう日が落ちて、かと思えば寝不足で重たい身体で朝日を見る。

うにゃうにゃとハッキリしない日々を過ごして、どうにもならない。

これだけは、と欠かさず続けていた毎日クロッキーにもとうとう穴が開いてしまいました。

落ちる所まで落ちた気分。

 

 

セルフネグレクト』という言葉があります。

self=自分自身、neglect=無視する。

自分に無関心になって、もうどうでもいいや、ってなっちゃう精神状態のこと。

ゴミ屋敷を大掃除する番組で知った言葉です。屋敷の主がこれに該当すると。

それに関連する通り、不登校うつ病、ひいては自殺志願者に多く見られる心の病気。

 

これだったんだろうな。

と今思います。

 

というのも、私は過去にも一度これになったことがありました。

思い出すのは大学に行けなくなった数年前のこと。

詳しくは初期の私の生い立ちの記事でも触れていますが、当時の私は不登校のバックレ生徒になっていました。中高と比べて自由度の高い大学だったからまだ救いだったのかもしれませんが、その期間は四方八方どこを向いても『詰み』で、本当に抜け殻でした。

テレビで取り上げられるほどのゴミ屋敷ではないにしろ、部屋もあんまり片付いてなくて、足場も寝床もちゃんとあるけど散らかっている状態で。

近くの精神科を受診するレベル。

受診したのも『精神的に辛いから』という理由よりも『何もできなかった期間を肯定してもらうための病気認定が欲しかったから』という狂気ぶり。免罪符がもらえて心が軽くなったのは事実だけれど。

 

この3月は、この時期と全く同じ精神状態にいました。

『あ……これは立ち直るのに時間がかかるやつだ……』と思い込むことで、立ち直るまでのハードルが自分の中で勝手に引き上がる感じ。わかるかな。

簡単な問題を難しく考えて、難しいからできませんでしたと白紙で提出するのと似てる。

 

そう、簡単なの。本当はね。

やることは決まっているし、やらなくちゃいけないことも決まっているし、それらをこなすための道筋も見えてる。

でもできない。

だからできない理由を探す。

理由なんて本当は無いのに。

できなかった宿題の言い訳を考えるみたいな、自業自得で誰も得しないことを悩むことになる。

『無い』でいいのにね。人間て難しい。社会て難しい。

 

 

そろそろ、"今"の話に戻ります。

ハッキリ言えば今もまだ若干引きずっています。

気を抜いたらすぐにお布団やらコタツやらに足を引っ張られて無為な一日を過ごすことになりそう。

でも、少なくともこうして文字にできるようになりました。

そこまで来れた。

自力で。

これは偉業。まちがいなく偉業。

そんな風にこれからまた、小さなことを褒められる自分に戻っていきたいな。

何気ない平穏を慈しむ心を取り戻したい。

 

最後に、この鬱期間でひしひし学んだことは、おしゃべり大事ってこと。

誰かと会って話すことの大切さ。

誰とも話さない日が続くことの危険さ。

一歩でも家の外に出て、おしゃべりすること。

どうしようもなく辛くなったら誰かとお電話しよう。

 

できなかった過去は見ないで、できる未来を作っていきます。

色んな良くないことは3月のchicamiのせいにして、おいてけぼりにすればいい。

そうすればやっと次のステップに進める気がする。

 

 

というわけで。

4月からchicamiはお絵描き2年生になります。